イヴ サンローラン
1936年 フランス領アルジェリアで生まれる。
子供の頃、家族でパリに引っ越す。17歳でパリ・オートクチュール学校に入学。
早くに才能を開花させ、入学3ヶ月後にはIWS(国際羊毛事務局)主催のデザインコンクールドレス部門最優賞を受賞。
(この時のコンクールで毛皮部門最優賞を受賞したのが、カール・ラガーフェルド!)
コンクールの審査員の一人でヴォーグのディレクターであった、ミッシェル・デブリュノフがサンローランをディオールと引き合わせます。
そしてサンローランの才能に感銘を受けたディオールは後継者として彼の育成を開始するのです。
1954年、ディオールに入社して3年後、ディオールが急逝。そのため若干21歳で、当時から絶大的な人気を誇っていたグランドメゾンの後継デザイナーとなりました。
心配されていたファーストコレクションは大成功を収め、若く美しいデザイナーはカリスマ的な人気を獲得することになります。
ただその栄光は長くは続きません。
1960年、アルジェリア独立戦争のために徴兵され、
ディオールを離れることになってしまします。
軍属となったのはわずか20日間ほどでしたが、
軍隊内でのいじめなどで心身共に衰弱し精神病院に
収容されてしまいます。
この時のサンローランを支えたのが今後公私にわたり
パートナーとなるピエール・ベルジェです。
1961年、ピエール・ベルジェ共に自身のメゾン
「イヴ・サンローラン」を設立します。
その後「モンドリアンルック」、「スモーキング」、
「サファリルック」など数々の代表的な作品を
生み出します。
これらのスタイルは今でもサンローランのシンボルで、
誰しもがサンローランといえば思い浮かべるスタイル
だと思います。
1966年 プレタポルテライン
「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」を
パリの左岸にオープンさせます。
ウォーホルに代表されるポップカルチャーが
台頭してきた60年代。
このサンローランの決断は、
ファッションもオートクチュールの上級社会から大衆へ
と移行していくことを感じさせる象徴的な
出来事となりました。
シャイで繊細、才能あふれるこのデザイナーは多くの人たちを惹きつけました。
フランスの大女優であるカトリーヌ・ドヌーブを始め、ルル・ド・ラ・ファレーズ、ベティ・カトルーなどの美しく聡明なアイコン達との交流は有名な話です。
(今年、カトリーヌ・ドヌーブが自身のサンローランコレクションの一部、約300点ほどをクリスティーズに出品しました。落札総額は1億円以上だったそうです!サンローランの根強い人気を再確認しました。)
2002年、オートクチュールを引退後は、マラケシュの別荘で過ごすことが多かったそうです。サンローランの愛した別荘は2017年より「サンローラン・ミュージアム」として公開されています。