クリスチャン ディオール
1905年 フランス ノルマンディーの裕福な家庭に生まれる。
5歳の時に、一家でパリに移り住む。
1928年 父親の出資をもとにアートギャラリーを持つが世界恐慌により父が資産を失ったことで閉鎖。
1937年 32歳の時にロベール・ピゲに雇われ、ファッションデザインをスタートさせる。
その後、徴兵によってピゲの元へ離れ1942年軍隊から戻ったディオールは、リュシアン・ルロンの元で働き始める。
この時期のフランスファッション業界はそれを維持するために、ナチス高官やその夫人達の洋服をデザインすることを余儀なくされた。
戦時下で経営維持するためには避けられないことではあったが、自由のない重苦しい時代でもあった。
終戦後1946年 ディオールは自身の名を冠したクチュールメゾンをオープン。
翌年最初のコレクション「ニュールック」を発表。
細く絞ったウエストと生地をたっぷりと贅沢に使用したフレアスカートで「ニュールック」と呼ばれたスタイル。
贅沢で華やかなそのスタイルは、息苦しかった時代から解放された喜びを皆に感じさせました。
ですが同時に、ストレートラインでジェンダーレスなファッションスタイルが主流となってきていた時代の中でなかば懐古主義的な女性らしさと、まだ貧しさが残る中でのその贅沢さは、批判の対象にもなりました。
ただ「ニュールック」はそれだけセンセーショナルなコレクションであり、結果、パリを再度ファッションの中心地として復興させることができたのです。
その後11年間パリのオートクチュール界の頂点に君臨したディオールですが、1957年突然この世を去ることになります。
その後を任されたのが、当時若干21歳のイヴ・サンローランでした。
「クリスチャン・ディオール」はその後も、ジャンフランコ・フェレ、ジョン・ガリアーノ、エディ・スリマン、ラフ・シモンズなどの才能あふれるデザイナー達に支えられ、ファッション業界において不動の地位を継続し続けています。
フィテッィング中の、ムッシューディオール。
彼のコレクションは毎回「ライン」がテーマとなっていました。のちに「ニュールック」となづけられたコレクションは「8ライン」、他「Aライン」や「Yライン」など。