LOEWE
実は元々はロエベという名前も人物も存在しない、マドリードの小さな皮革工房がルーツでした。数名の職人により、レザーケースやバッグ、財布や葉巻入れなどのアイテムを生産していました。そんな小さな工房に、エンリケ・ロエベ・レスベルグというドイツ人の職人がこの工房を見学し、当時の職人たちの技術力の高さや、品質の高さに感銘を受け、そこで働き始めたのがロエベ誕生のきっかけです。
その後エンリケは貴族の娘と結婚し、潤沢な資金援助を受けた工房は、より良いものを作り続け、マドリードの貴族や富裕層の間で評判となりました。徐々に人気と規模を拡大していった工房は、1892年についに、店舗兼工房として、E・ロエベブティックをオープンするに至ります。また、当時のスペインでは物を陳列するというディスプレイが珍しく、率先してその方法を取り入れていったロエベブティックはたちまち大きな話題にもなりました。
1900年代に入ると、ロエベをさらに飛躍させる出来事が起こります。当時のロエベのVIP顧客であったコンキスタ公爵夫人によって、スペイン王室に紹介され、クオリティとデザイン性の高さを評価したアルフォンソ13世から王室御用達の称号を授かることになりました。これによりスペインブランドの最高峰に位置するようになったロエベは、そこから国内での事業拡大を進めていきます。
国内の主要都市にたちまち新店舗を展開していったロエベは、ユニークな戦略を用いていました。それは現代で言う、セレクトショップのような商品ラインナップです。通常、メゾンブランドは自社のアイテムだけを取り扱い、生産をしていることがほとんどですが、当時のロエベにはクリスチャン・ディオールやクロエ、ロジェ・ヴィヴィエなどの現在でも第一線に位置するラグジュアリーブランドも取り扱われていました。これにより、スペイン国内では、ラグジュアリーブランドとしての圧倒的な知名度と人気を確立します。また、ロエベの各ブティック建築の際に、著名な建築家やデザイナーが携わることが多く、独創的で豪華なコンセプトのもとに作られた外観や内装は、通行人やお客さんの目を引き、ファッショナブルなイメージを持たせることに成功したロエベは、この頃にはスペインだけでなく世界中のセレブがロエベを訪れるほどまでに成長しました。
国内の主要都市にたちまち新店舗を展開していったロエベは、ユニークな戦略を用いていました。それは現代で言う、セレクトショップのような商品ラインナップです。通常、メゾンブランドは自社のアイテムだけを取り扱い、生産をしていることがほとんどですが、当時のロエベにはクリスチャン・ディオールやクロエ、ロジェ・ヴィヴィエなどの現在でも第一線に位置するラグジュアリーブランドも取り扱われていました。これにより、スペイン国内では、ラグジュアリーブランドとしての圧倒的な知名度と人気を確立します。また、ロエベの各ブティック建築の際に、著名な建築家やデザイナーが携わることが多く、独創的で豪華なコンセプトのもとに作られた外観や内装は、通行人やお客さんの目を引き、ファッショナブルなイメージを持たせることに成功したロエベは、この頃にはスペインだけでなく世界中のセレブがロエベを訪れるほどまでに成長しました。
1960代からロエベは、世界へと進出していきます。まずはプレタポルテ事業のスタートです。革製品ばかりがイメージされがちなロエベですが、実はカールラガーフェルドやジョルジオアルマーニといった伝説的なデザイナーたちが所属していた時期もあるほど本格的でした。1970年には、現在でもブランドを象徴するアイコンとして広く認知されているアナグラムが発表され、1975年には、『ロエベ=アマソナ』という方程式が成り立ってしまうほどの、アマソナとうモデルのバッグが、発表されました。1996年、最終的な転機はLVMHグループへの参入です。これによりグループの豊富な資金と資源を有効活用出来るようになったロエベは、上流階級だけでなく、中流階級へ向けた革製品やアパレルアイテムを生産できるようになり、さらにターゲットの幅を広げることに成功しました。
様々な好機をことごとくモノにしてきたロエベ。他のラグジュアリーブランドほど経営難や過酷な状況をあまり耳にしない、最高峰のブランドです。歴史と伝統溢れるロエベですが、トレンドも吸収し、革新し続けるこのブランドからは今後も目が離せません。Vintage Paris 南青山店では、ロエベアイテムのお取り扱いももろんございますので、店頭、及びインスタグラム、オンラインショップを是非ご覧ください!